歴史に学ぶ勇気と正義:アマチとラルフ・ローレンス・カーの物語

智辯学園の生徒たちがアメリカ短期留学プログラムで訪れているコロラド州は、実は日本にとっても非常に縁が深い州です。コロラド州中北部に位置する大都市デンバー市から、車で4時間ほど南東に行ったところにあるグラナダには、キャンプ・アマチの呼び名で知られる日系アメリカ人の強制収容施設がありました。

真珠湾攻撃から2ヶ月後の1942年2月19日、フランクリン・ルーズベルト米大統領は、スパイ活動からアメリカを守るという名目のため、日系アメリカ人約12万人を全米10カ所の収容所に強制移住させる大統領令を出しましたが、アマチはその収容所の1つです。

当時のアメリカでは、日系アメリカ人に対する差別や偏見が広がっていました。コロラド州に住む人々も同様で、排日運動が盛んでした。そんな中、当時のコロラド州知事であったラルフ・ローレンス・カー氏は、人道的信念に基づき、日系アメリカ人を擁護しました。

カー氏は真珠湾攻撃の3ヶ月後に、ラジオ演説で次のように語っています。

コロラド州民のみなさん、冷静に賢明な市民として振舞おうではありませんか。アメリカが人種のるつぼであるという事を思い出してください。アメリカに対する忠誠心を、その人の祖父が生まれた場所で計る事は出来ません。もとをたどれば、我々全てのアメリカ人は国境の向こう側からやってきたのではありませんか。 出典:ウィキペディア( ラルフ・ローレンス・カー – Wikipedia

 強制移住が実際に始まり、日系アメリカ人の集団がコロラド州に連れてこられた際にも、彼らに危害を加えようと暴徒者が集まってきたのを察したカー氏は、すぐさま現地に飛び、「彼らに危害を与えるのなら、私に与えなさい。」と体を呈して擁護しました。

カー氏の偉業を称え、1976年より、デンバー市にあるサクラ・スクエア広場には、彼の胸像が置かれています。

今回の短期留学をきっかけに、キャンプ・アマチについて、そして日系アメリカ人の人権を守ろうとしたラルフ・ローレンス・カー氏について知れたことに感謝します。



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